♪BGM: Emerald (Bedrock Dub) – Bedrock
2000年代のある時期、新卒で就職した時に東京の部署に配属になり、3年ほど東京にいました。
仕事がハードすぎて体を壊したりいろいろ大変だったけど、毎週のように都内各地のクラブへ行き、
東京のクラブシーンにどっぷり浸かった、今思えば夢のような日々でした。
断片的ですが、当時のクラブ遊びに関して覚えていることを書いていきます。
六本木でお忍びからの西麻布YELLOW
友達の友達として知り合ったTさんという人とよく遊んでいた。お互い同じ業界の人でクラブ音楽好きという奇跡的なお友達。でも、なぜだかわからないけど当時私のまわりにはそんな「奇跡の友達」がたくさんいた。
ある時、六本木で飲んでからYELLOWへ行こうということになった。六本木交差点のアマンドあたりで集合。当時のアマンドは改装前で、ちょっとレトロで可愛い店構えだった。
「あのお店良さそうじゃない?『しのび』っていうとこ」
「いいね~忍ぼう忍ぼう~」
とか言いつつ入ったお店「しのび」さんは、ビルの4Fくらいに入っているいい感じの和食のお店で、ほんとにお忍びっぽい雰囲気だった。(あのお店は、多分今はもうない)
この日YELLOWで見たDJは確かJohn Digweed氏。YELLOWはゲストもやはり通な顔ぶれだった。特にハウス系の大物DJをよく呼んでいた印象。
今はなきYELLOWは、まさに東京のクールなクラブという趣の箱だった。客層もちゃんとクラブ音楽好きな雰囲気の人ばかりだった。大きな扉を開けて中へ入り、螺旋階段を降りてフロアへ入るあの感じ、やはりワクワクするものがあったよね。
YELLOWに関する貴重な記事を見つけたので貼っておきます。
NIGHTCLUBBING: TOKYO’S SPACE LAB YELLOW
代官山AIR
AIRは、渋谷と代官山の中間くらいの場所にあったクラブ。大阪の芸大の1つ先輩で、大学時代には大阪や神戸のトランスのパーティでよく遊んでいたKちゃんと一緒に出かけた。私達はそれぞれ卒業後に就職し、偶然にも六本木の神羅ビルみたいな高層ビルに入っている会社でお互い働いていた時期があった。ビルのエレベーターで偶然会ったり、時々仕事帰りに近くのTully’sでお茶をしたりした。
この日は渋谷で集合。途中で寄ったHMVで、私が高校生の頃から作品を読んでた作家のNちゃんことN氏を偶然見かけてテンションが爆上がりし、実家にいる同じくN氏ファンの妹に思わず電話をかけた。プライベートなので声をかける事はしなかったけれど、まぁこちらの黄色い声ならぬ視線には気づいていらしただろうな… 笑
Nちゃんいた~!やばい~!と話しつつAIR方面へ向かう。途中、確かロイヤルホストに寄り、そこでKちゃんの弟君が合流。彼も当時東京在住で、某大手出版社に入社したばかりだった。
この日のAIRに出演していたのはサトシ・トミイエさん。当時、SAW Recordingsのパーティがレギュラー化する前で、今思うと富家さんのDJを生で聴けたのは貴重な機会だったな。AIRがあったのはビルのB1FとB2F。吹き抜けの構造になっており、DJブースは中2階に浮かぶゴンドラのような状態で設置されていた。B1Fにバーがあって、そこからはDJプレイの様子を見ることができた。
CEVIN FISHER – Love You Some More
この日トミイエさんがかけていた曲。私も同じ曲をアナログレコードで持っていて、あたしもこれ持ってる!!と思ったことを覚えてる。
Kちゃんはその後オーストラリアへ渡り、結婚、イギリス滞在を経て、今は東京で某超大手IT企業に勤務してる。ホントすごいです。
東京クラブ回顧録は、不定期で連載します。
次回へ続く。